FC2ブログ

つながり天国46-要約資本論14

日記・小説、文学・恋愛
11 /24 2018
要約資本論14
(41)<要約>①及び②の、さまざまの場合を比べてみると、相対的価値の大きさの変化が、全く逆の原因から生まれることが分かる。
 ①亜麻布の価値が2倍になるか、上衣の価値が2分の1に減る
  →20エルレの亜麻布=2枚の上衣
 ②亜麻布の価値が2分の1に低下するか、上衣の価値が2倍に増加する
  →20エルレの亜麻布=2分の1枚の上衣
 
 <おもしろく>
 亜麻布の価値と上衣の価値が上がったり下がったりする。ややこしい。
 正比例したり、反比例したりする。
 注意深く読んでみよう。

(42)<要約>③亜麻布および上衣の生産に必要な労働の量が、同時に同じ方向、および同じ比率で変わる場合
 この場合には、これらの価値が変わろうとも、20エルレの亜麻布=1枚の上衣である。相対的価値は変わらない。
 ④同じ方向だが、等しくない程度で、または反対の方向で、などで変わる場合
 あらゆる可能な組み合わせが、相対的な価値に及ぼす影響は、①、②、③の場合を応用することで分かる。

 <おもしろく>
 色々と考えようというのだろう。価値と相対的価値は違う。価値の変化と相対的価値の変化。もう少し読んでみよう。

(43)<要約>価値の大きさの変化は、相対的価値の大きさでははっきりと表れない。
 一商品の相対的価値はその商品の価値が変わらなくても変わることが出来る。
 一商品の相対的価値はその商品の価値が変わっても変わらないことが出来る。
 最後に、一商品の相対的価値と、その価値の大きさとが同時に変化しても、この二つの変化は一致する必要はない。

 <おもしろく>ある物の価値の変化と、相対的価値の変化とは違うというのだろう。単独の価値の変化と、他と比べての変化は違う。そのとうりだろう。
 例えば円とドルの関係はどうだろうか。
 現在、円は1ドル110円位(2018年6月)だが、1ドル100円と円高になれば、1ドルの物を買うのに10円安く買える。円の価値が上がった。
 逆に120円と円安になれば、1ドルの物を買うのに120円出さなくてはならない。価値が下がった。こうした為替(かわせ)相場は日々変化している。
 これらの変化は色々の原因があるようだが、例えばアメリカで金利が上がるとドルが買われて、円は安くなる。日本の方に特に変化がなくてもそうなる。
 日本では金融緩和で金利を安く誘導し、円安を狙っているのではないかと言われている。その方が 輸出企業は儲かるから。が、輸入品は高くなる。
 円の価値をドルで表しているのだろうか。円の相対的価値をドルで表すのか。

(44)<要約3、等価形態
 人は見た―商品A(亜麻布)は、それの価値(交換価値)を、異なる商品Bの使用価値で表すことで、Bに独自の価値形態、等価形態を押し付ける。
 一商品の等価形態とはその商品との直接に交換可能な形である。
 等価形態は量的なものを含まない。むしろ、第一の独自な点は、使用価値が、価値の表われる形(現象形態)になるということである。

 <おもしろく>
 現象形態―現れる形。

 原訳文に現象形態という言葉がある。現れる形。表れ。このように表れている。見えている。
 例えば引力などという目に見えない物は、手に持ったリンゴを離すと落ちるという形で現れる。それが引力の現象形態だろう。
 Bの使用価値が、Aの交換価値の現象―表われになっているという。交換価値が使用価値として表われている。どう考えたらよいか。
 Bは等価形態にあるという。Aの価値がBの使用価値で表現されている。
 交換価値が使用価値で表される。交換価値と使用価値は対立していたのではないのか。交換価値は使用価値を含まない。使用価値は交換価値を含まない。
 お互いに否定し合っていた。矛盾だった。
 これが第一の独自性だと。
 どうゆうことなのか。しばらく読んでみよう。
スポンサーサイト



つながり天国45―日本を売らない運動を

日記・小説、文学・恋愛
11 /24 2018
日本を売らない運動をしよう
 「日本が売られる」(堤未果著・幻冬舎新書)を読むと、沢山のものが、いつのまにか、知らされもせず、売られていることが分かる。
 「日本を売らない会」を作って、売らない運動をしませんか。
 18項目について、売らない運動を作る。水、土、タネ、ミツバチの命、食の選択肢、牛乳、農地、森、海、築地、労働者、仕事、ブラック企業対策、ギャンブル、学校、医療、老後、個人情報。―その他にも売らない物、売りたくない物が色々とあることだろう。それも加えよう。工場の海外移転にも反対しよう。
 たとえば水。宮城県は経費削減ができると宣伝している。県の負担は減るかもしれないが、個人の負担は増える。フランスのパリでは30年で料金が5倍になって、2010年に再び公営化したという。(11月23日付け朝日新聞)
 大企業、海外企業の狙いは利益を上げること。地域独占で、競争がないのだから、いくらでも上げられる。水道料金が払えなくなったら、貧乏人は水を飲まないで過ごすのか。死ねというのか。民営化した電気料金はどんどん上がっていないか。電話料金はすごい高いではないか。3社で競争するよりも、談合し、独占価格になっていないか。JRも高い。赤字路線を切り捨てている。
 アベ内閣は企業に利益をもたらすために、次々と日本を売っているが、水までも売るというのだ。貧乏人から搾り取るだけ搾り取り、ついには死ねという。金持ち、資本家、アベはいくら儲かるのか。自民党や公明党、維新など与党議員はいくら儲かるのか。
 戦前、「国のために死ね、天皇のために死ね」と教育したが、それと同じことが行われている。「企業のために死ね、金持ちのために死ね、国のために死ね」-死にますか。それとも反抗し、抵抗し、闘いますか。
 一握りの支配者ではなく、多数の労働者、勤労者、農林漁民、中小企業者、自営業者など、人民(支配された者)こそ第一ではないか。 毎日営々と労働して、莫大な富を作り出しているのは人民だ。人民第一。
 イタリアでは、「五つ星運動」「市民参加型民主主義」で大きな成果を上げているという。232頁。この運動に学ぼう。
 私は議会制代議制民主主義が独裁となっていて、「参加型交代制民主主義」が必要だと思ってきた。議員の任期は一期のみにする。再選、多選、十選などと独裁者を作り出さない。皆で行動し、誰かに任せるのではなく、自分で考え、自分でやる。労働組合でもそうだが、再選、再選でボスを作り出さない。利権のしがらみに取り込まれない。情報が隠されないようにする。そうゆう組織が必要だろう。
 労働組合の改革も必要だ。役員の再選に反対する。 会社やボスのための労働組合ではなく、労働者のための労働組合にしよう。
人殺し、売国のアベ内閣を打倒しよう! 
「日本を売らない会」を作り、参加型交代制民主主義で運動しよう
 

つながり天国44-要約資本論13

日記・小説、文学・恋愛
11 /20 2018
日産ゴーン会長逮捕
 報酬50億円過少記載容疑
 2018年11月19日ゴーン会長が逮捕された。2010年から2014年まで、5年間に約100億円の報酬を得ていたのに、約50億円しか、有価証券報告書に記載しなかったと。年間約20億円を約10億円だとウソを言ったのか。その後も、15年約10億7千万円、16年約11億円、17年約7億3500万円ということだが、これらは過少ではないのか?
 労働者が年収500万円とすると、 20億円は400人分に相当する。支配者は勝手なことができるのだ。せっせと自分の財産を増やす。
 2兆円の負債を抱え、倒産の危機に陥った日産に、フランスのルノーが6430億円出資、株式の36・8%を取得したという。ゴーンはルノーから送り込まれ、2000年に日産社長になり、リバイバルプランと称して、5つの工場を閉鎖、2万1千人からの首切りを行った。また下請け企業の半分、500社くらいを切り捨てたという。ー「コストを減らせ。人員を減らせ」コストカッターなどと呼ばれたらしい。裏では、自分のコストは増やしたのだ。
 労働組合は首きり人にどう対抗したのだろうか。連合はこれといった闘いをしなかったらしい。無能ということか。政党はどうだったのか。
 どう対抗、抵抗、闘争ができるのか。黙って首を斬られてはたまらない。
 例えば日産自動車の不買運動などできるだろうか。首切りを行う企業の製品は買わない。
 あるいは、国鉄などの民営化があったが、逆に国有化運動などはどうか。りそな救済の「国有化」があったが、一時的ではなく、ずーと国有化できないか。財界は「国有化反対」だろうが。
要約資本論13
 (38)<要約(b)相対的価値形態の量的規定性
 価値の形は価値を一般的にだけでなく、量の定まった価値、価値の大きさを表さなくてはならない。
 「20エルレの亜麻布=一枚の上衣」という方程式は、両方の商品量が、同じ量の労働、同じ大きさの労働時間を必要とすることを前提としている。
 ところが、生産に必要な労働時間は生産力のあらゆる変化につれて変化する。
 そこで、こうした変化の影響を、もっと詳しく研究しなくてはならない。

 <おもしろく>
 前提―必要条件、事柄。結論の基礎となる命題。

 今度は量の話。価値の量か。両方の商品が同じ量の労働を含んでいるからイコールになる。生産に必要な労働時間は、生産力の変化によって変化する。
 価値の量は労働時間で測る。労働時間が変化すれば、価値の量も変化する。どう変化するか。

(39)<要約>①亜麻布の価値は変動するが、上衣の価値は変わらない場合
 亜麻布の生産に必要な労働時間が2倍になるなら、亜麻布の価値は2倍になる。20エルレの亜麻布=2枚の上衣になる。
 亜麻布の生産に必要な労働時間が2分の1に減少するなら、亜麻布の価値は2分の1に低下する。20エルレの亜麻布=2分の1の上衣になる。
 こうして、商品Aの相対的価値、すなわち商品Bで表される商品Aの価値は、商品Bの価値が変わらないなら、商品Aの価値に正比例して増加または減少する。

 <おもしろく>
 生産に必要な労働時間が増えれば、そのものの価値が上がる。高くなる。
 逆に、減るなら、そのものの価値は下がる。安くなる。
 正比例。そのはずだが現実には安くならない。それが問題だ。

(40)<要約>②亜麻布の価値は不変であるが、上衣の価値が変動する場合
 上衣の生産に必要な労働時間が2倍になるなら、20エルレの亜麻布=2分の1の上衣になる。
 上衣の価値が2分の1に減少するなら、20エルレの亜麻布=2枚の上衣になる。
 商品Aの価値が変わらない場合には、商品Aの相対的な、商品Bで表された価値は、Bの価値の変化に反比例して減少、または増加する。

 <おもしろく>
 生産に必要な労働時間が2倍になるなら、価値も2倍になる。すなわち、他の物の価値が変わらなければ、半分で同じ価値になる。反比例する。

つながり天国43―要約資本論12

日記・小説、文学・恋愛
11 /17 2018
生を考えるつながり
 終活や孤独死などと死を考えるつながりが話題になる。孤独死は高齢者だけでも年間2万7千人とか。
 孤独死の不安を持つ人は6割にも上る。どうしてこんなことになるのか。どうしたら死ぬまで一緒に生きられるか。
 つながりを求める。「死を考えるつながり」だろうか。
 定時制高校生の次の短歌は「生を考えるつながり」を感じる歌ではないか。(「生きていくための短歌」南博著岩波ジュニア新書より)
 ★不登校働き学ぶ夜学へと優しい友と卒業めざす    山口雅輝
 ★嬉しいな夜学に通い友達たくさんしんどいけれどがんばります    竹本鉄太
 物象化(ぶっしょうか)―人と人の関係が物と物の冷たい関係になる
 例えばテレビを買う。金とテレビの交換。ここではテレビを作る労働もテレビを作る労働者も消える。払う金を得るための労働もその労働をする人も消える。ただ金とテレビの、物と金の関係が見えるだけだ。売り買い。
 仕事も同じ。金と仕事の交換。売り買い。労働者と経営者、資本家の関係が消える。人と人の関係が消える。冷たい売り買いの関係。
 売り買いの関係。物と金、物と物の関係。人と人の関係が消える。労働と労働の関係が消える。それが資本主義。
 売り買いの自由。職業選択の自由。自由なのが資本主義。「それが当たり前。自由だから良いではないか。」
 つながりが消え、「人のことは関係ない」とばらばらになった。勝手な自由。孤独。不安。
 沢山のものが労働によって作られている。だから、私たちは、労働を通じて沢山の人とつながっている。それがないと生きられない。「関係ない」のではないのだ。お互いに関係がある。つながりがある。それが消える。人が消え、労働が消える。資本主義。
 当り前をひっくり返そう。人と人のつながりを取りもどそう。労働の関係を取り戻そう。
 どうやったら取り戻せるか。どうやったら死ぬまで一緒に生きられるか。
要約資本論12
(35)<要約> 人間の労働は価値を形作るが、しかし価値ではない。それは労働が固まった状態で価値となる。

 <おもしろく>―原訳文の言葉 
 対象的形態―対象としてつかめる形。
 対象性―目標性、対象となるもの。別物。
 
 原訳文に対象的形態だの、対象性だのという言葉が出てくる。ドキッとする。
 「人間的労働は凝固した状態において、対象的形態において、価値となる。亜麻布の価値をそう表現するには、その価値は亜麻布そのものとは物的に異なる、亜麻布と他の商品に共通な、一つの対象性として表現されねばならない。」
 分からない言葉や分からない話が出てくると、ドキッとするものだ。
 分からないもの―お化けとか、幽霊とか、分からないものが出てくると怖いようなものだろう。怖いと逃げる。それが自然の事だろう。
 しかし、 分からなくても逃げないで立ち止まり、分かろうとすると、お化けが何か、幽霊が何か分かるだろう。お化けが枯れ枝にボロ布が掛かっていたり、幽霊が風にゆれる木の葉の影だったりするかもしれない。
 だから怖くても逃げないで、対象的形態や、対象性は何を意味するのか考えてみよう。
 見る対象と言ったら、見る物とでも言うのだろうか。風景だったり、人物だったり、食べ物だったりするだろう。
 だから、対象的形態とは、対象としてつかめる形だろうし、対象性とは対象となる物だろう。見る対象となる物。表現の対象となる物。別物だという。
 大したことではないのだ。難しい言葉を使っているに過ぎない。怖いお面をかぶっているだけなのだ。お面をひっぺがしてみよう。
  
(36)<要約>上衣の生産では裁縫業の形で人間の労働力が支出される。こうして人間の労働が上着の内に積み重ねられる。
 上衣はこの側面からのみ、形あるものになった価値として重要さを持つ。

 <おもしろく>
 ここでも、原訳文には体化などという難しい言い方が出てくる。労働が上衣という形あるものに変わった、というのだろうか。労働は形がないけれども、上衣は形がある。目に見える。手にさわれる。
 上衣には人間の労働が支出される。そこに価値がある。その価値で亜麻布の価値を表している。
 それにしても、対象性の「~性」とか、体化の「~化」とか、あるいは、部分的の「~的}とかは、安易に使われすぎていないだろうか。
 性―物事に備わっている。耐熱性、毒性、可能性。
 化―姿かたち、性質、心などが別のものに変わる。映画化、進化、化石。
 的―部分だけ取り上げて、目立たせる。…らしい。ような。的確、目的、詩的、劇的、一方的、民主的。
 まあ便利な、そしてあいまいな言い方だろうか。安易に使いたくない。

(37)<要約>こうして、価値の形に仲立ちされて、商品Bの自然の形が、商品Aの価値の形になる。商品Aは、価値あるものとして、人間労働の物質化としての商品Bに関係することで、使用価値Bを価値を表す材料にする。
 商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表されることによって、相対的価値の形を取る。
 
 <おもしろく>
 物質化―物質になる、物になる。

 かなり引用をカットした。同じことのしつこい繰り返しではないか。
 あるいは、淡泊であったら、物事は見えてこないというのだろうか。こだわる。執着する。食いつく。しつこい。しつこく追求する。それが必要だと。
 ★働けど働けどなおわが生活(くらし)楽にならざるじっと手を見る   石川啄木
 ただじっと手を見ているだけではだめなのだ。
 ★何につながる吾(あ)がいとなみか読まざればただ不安にてマルクスを読む   近藤芳美
 まあ読むだけでは分からないのだ。読んで、考えて、行動しよう。
 しつこいマルクスに学ぼう。このしつこさを学ぼう。辛抱して。
 それにしてもしつこい!

つながり天国42-要約資本論⑪

日記・小説、文学・恋愛
11 /13 2018
★高い木々落ち葉ちらほら冬隣
要約資本論⑪
(31)<要約>同じ商品は、同時に相対的な形と等価の形とになることはできない。この二つの形は、互いに反対側にある。
 どちらになるかは、商品が価値を表す位置に、商品の価値が別の商品で表されるか、あるいは別の商品の価値を表すかに、かかっている。

 <おもしろく>
 相対的価値形態―その商品の価値が別の商品で表される時。
 等価形態―その商品が別の商品の価値を表す時。
 両方とも商品なのだが、その置かれた位置が違う。それによって、役割が違ってくる。それを相対的価値形態と、等価形態と役割が違うといっている。

(32)<要約2、相対的価値形態
 ここでは、(a)相対的価値形態の内実と、(b)相対的価値形態の量的規定性の二つに分けられている。どうゆうことか。
 (a)相対的価値形態の内実
 一つの商品の価値が、二つの商品の関係で表されるのを発見するには、量ではなく、質の面を見なくてはならない。
 人は正反対のやり方で、量の面、二つの商品の一定分量が互いに等しい、その比率だけを見る。異なる物の大きさは、同じ単位で、量的に初めて比較できるのを見逃している。

 <おもしろく>
 内実―内部の事情、真実のところ。

 長さや重さは、それぞれが同じ単位で表される。だから、それぞれの単位を決めなくてはならない。メートル法では長さや重さの「原器」が決められているという。一メートルとはこれだけで、一キロとはこれだと。
 だから、その単位、長さや重さに相当するものを、商品の中に見出さなくてはいけない。リンゴ一個と車一台だと、同じ一つだが、重さが同じでないように、価値は同じではないのだ。

(33)<要約>20エルレの亜麻布=一枚の上衣、あるいは20エルレの亜麻布=何枚の上着だろうと、価値の大きさとしては、亜麻布と上着は、同じ単位で表されていて、同じ性質を持つものであることを示している。
 亜麻布=上衣ということが方程式の基礎である。しかし、この二つの商品は同じ役割をしていない。亜麻布の価値だけが表現される。亜麻布がそれの「等価」、あるいはそれと「交換することができるもの」としての上衣に関係し、亜麻布の価値だけが表現される。
 上衣は価値の実際に存在するもの、価値ある物として重要性を持つ。

 <おもしろく>亜麻布と上着は同じ単位で表されているから、亜麻布=上着になる。同じものを持っているということだろう。
 他方で、亜麻布の価値が、実際に価値あるものとしての上衣で表される。
 このことは、亜麻布が、価値ある上衣と関係しているものとして、亜麻布に価値がある、自立した価値がある、ということを示している。
 なかなかややこしい。何が言いたいのか。相対的価値形態とは何かを考えている。亜麻布と上衣の関係をあれこれ、あれこれと考えている。
 まあ、順次考えてみよう。

(34)<要約>他の商品に対する商品の価値の関係では、ある商品の価値の性格が他の商品に対する関係によって出てくる。
 種類の違う商品を等価として表すことのみが、価値を作っている、労働の独自の性格を表われ出させる。
 種類の違う商品の内にある労働を、人間的労働一般に戻すことで、価値を形作る労働の独自な性格を表われ出させる。

 <おもしろく>
 種類が違う労働を、共通のものに、人間的労働に戻す。そのことで価値を形作る労働の独自の性格が出てくる。
 一つの商品の価値を、別の商品で、等価として、表している。ここでは別の商品の価値で表している。
 商品の価値は労働によって作られるのだが、ここでは別の商品でその価値を表しているのだ。労働時間によってではなく、あるいはそれぞれを作り出す労働時間が比較されているということだろうか。

つながり天国41-要約資本論⑩

日記・小説、文学・恋愛
11 /12 2018
日本企業は元徴用工への補償を行え
 元徴用工は韓国政府の補償に不満を持っている。それだけひどいことを戦前の日本は行ったのだ。
 簡単に許せるものではないということだろう。1910年から韓国を植民地にして、35年にもわたって残虐の限りを尽くしてきたのだ。
 日本に連れてきて、工場や鉱山で奴隷のように酷使し、一体何人が亡くなったのか。それを思えば心からの補償を行うべきだろう。
 そうしたことに知らん顔をして、わずかの金で終わった、終わったというのはおかしいだろう。厄介ばらいをしたいのだ。アベ政権も、日本企業も、財界も、いかに冷酷無残かを示している。
 要約資本論⑩
(29)<要約(A)簡単な、単純な、または偶然的な価値形態
 x量の商品A=y量の商品B
 すなわち、x量の商品Aはy量の商品Bに等しい。

 ここでは、次の四つの小項目に分けられる。
 1、価値表現の両極―相対的価値形態と等価形態
 2、相対的価値形態
 3、等価形態
 4、簡単な価値形態の総体
1、価値表現の両極―相対的価値形態と等価形態
 あらゆる価値の形の秘密はこの簡単な価値の形の中に潜んでいる。だからこの分析はもともと難しい。今、Aを亜麻布、Bを上衣と考える。
 ここでは、二つの商品、AとBとが二つの異なる役割を演ずる。
 Aの商品は能動的役割を演じ、Bの商品は受動的役割を演ずる。
 第一の商品の価値は、相対的価値として表される。すなわちこの商品は相対的価値の形態にある。
 第二の商品は等価として働く。すなわち等価の形態にある。

 <おもしろく>
 能動的―自分から進んで働きかける。
 受動的―受身の形で物事をする。
 相対的―他との関係で成り立つ。
 等価―価値、価格が同じである。
 
 相対的価値形態と等価形態。どうゆう意味だろうか。
 相対的―AがBで表されるという。反対語は絶対的だろうか。
 絶対的―何者とも比較したり、置き換えたりできず、また他からどんな制約も受けないさま。
 ここでは絶対的ではなく、相対的価値形態に対して、等価形態が対置されている。
 第一の商品A-能動的役割―相対的価値形態
 第二の商品B―受動的役割―等価形態
 相対的とか、等価とか言われると何かと思ってしまう。
 Aの商品の価値をBで表すから、Aは相対的である。
 BはAの価値を表す材料になっているから、等価の役割にある。
 例えば天秤ばかりで、左に量る物を載せ、右に重りを載せたとすると、量る物が相対的価値形態にあり、重りが等価形態にあるのだろう。

(30)<要約>相対的価値形態と等価形態は、互いに従属し合い、制約し合う、離れられない、二つの契機である。
 しかし、同時に、互いに排除し合う、対立させられた両極である。
 (つまり、矛盾である。筆者注)
 だから、亜麻布の相対的価値形態は、何か他の商品が亜麻布に対立して、等価の形にあることを示している。
 他方、等価として表われる商品は、他の商品の価値を表す材料になる。

<おもしろく>
 従属―支配につき従う。
 制約―活動の自由を制限する。
 契機―物事が起こったり、変化したりするきっかけ。
 排除―取り除く。

 ここで矛盾とは何かが出てくる。AとBとが矛盾であるというのは、
 (1)AとBとが互いに従属し合い、成約し合い、離れられない、二つの契機であること。一方があるから他方がある。
 (2)同時にAとBとは排除し合う、対立させられた、両極である。両立はできない。
 今、矛盾という字の矛(ほこ―剣)と盾(たて)を考える。中国の故事だという。
 Aーこの矛はどんな盾でも突き通す。
 B―この盾はどんな矛でも突き通せない。
 この矛でこの盾を突いたらどうなるか。一方は突き通せる。他方は突き通せない。両立できない。矛盾している。
 Aと対立してBがある。AとBは離れられない。AとBは両立できない。AであるならBではありえない。BであるならAではありえない。
 AとBは統一もしているが、対立もしている、という。
 パラドックスとか、ジレンマというのもある。
 パラドックス―逆説というのは、「急がば回れ」とか「負けるが勝ち」などと、真理に反しているようだが、よく考えると真理であるようなこと。急ぐなら、まっすぐ行ったほうが早いだろうし、負けはやっぱり負けだろうに。
 ジレンマというのは、相反する二つの板挟みにあって、抜き差しならない状態。どちらとも決められない。どうすればよいのか。

つながり天国40-要約資本論⑨

日記・小説、文学・恋愛
11 /10 2018
「日本が売られる」
 「日本が売られる」(堤未果著・幻冬舎新書)を読むと、さまざまのものが売られている、あるいは売られようとしていることが分かる。 誰が売るのか。誰に売られるのか。売るのはアベ政権であり、日本独占資本か。買うのは多国籍企業群、主としてアメリカ独占資本か。国を売る―売国ではないか。―売国とは、「自国民の生活の基礎を解体し外国に売り払うこと」。5頁。
 売国―アベ政権は売国政権ではないか。アベは売国奴か。右翼はなぜ追及しないのか。売国奴などという言葉が大好きではないのか。
 右翼が追及しないなら、我々が追及すべきではないか。アベ売国政権を打倒しよう。売国奴アベを追放しよう。
 要約資本論⑨
 第三節価値形態、または交換価値
 ★この節は、次のような、A、B、C、Dの4項目に分けられている。
  A、簡単な、単純な、または偶然的価値形態
  B、全体的な、または開展された価値形態
  C、一般的価値形態
  D、貨幣形態
(26)<要約>商品は、鉄とか小麦のように、使用対象であり、同時に価値であるという、二重の場合にのみ商品である。
 商品は、自然の形(自然形態)と価値の形(価値形態)という二重の形を持って、商品として現れる。

 <おもしろく>
 商品は二重の形を持つという。
 商品―使用対象(自然形態)
    \価値の形(価値形態)
 この二重の形を持つ限りでのみ、商品である。
 今まで、こうだった。
 商品―使用価値
    \価値(交換価値)
 今、自然形態と価値形態が出てきた。形という意味ではこうなるのだろうか。使用価値が自然形態に、価値(交換価値)が価値形態に対応する。
 自然の形は目に見えるけれども、価値の形は目に見えない。

(27)<要約>商品は人間の労働が作り出したものとして、価値と認識される。価値は商品と商品との社会的な関係の中でのみ現れる。
 我々は商品の交換価値、交換関係から出発して、そこに隠されている商品価値(価値)を発見した。
 今や価値のこの現れる形(価値形態)に立ち戻らねばならない。
 
 <おもしろく>
 原訳文にある、対称性とか価値対称性とかいわれると、何のことだろうと思ってしまう。
 「価値対称性」というのは、フランス語訳では「価値の実態」と訳されているという。この方が分かりやすいかもしれない。
 対称性などという言葉を普段使わないので、分かりにくくなっている。「価値として認識される」といった程度に軽く受け流してみるのも手かもしれない。
 現象形態などというものも、「現れる形」くらいに。分かりやすく。
 今、商品の価値というものを、人間の労働が作り出したのだと認識することが必要なのだろう。商品には、労働が詰まっているということ。
 労働をぎゅうぎゅう詰め込んでいるのだ。それを行っているのが労働者だから、労働者は価値を作り出しているのだ。沢山の価値を作り出している。
 労働者は偉い!
 労働者は素晴らしい!
 
(28)<要約>商品には値段が付いている。これを貨幣形態(貨幣の形)という。
 ここで大事なことは、貨幣の発生の歴史を明らかにすることである。それによって貨幣の謎も消える。
 もっとも簡単な価値の関係は、ある商品に対する別の商品の関係である。

 <おもしろく>
 こうだろう。
 商品―自然形態―使用価値―食べ物
    \貨幣形態―リンゴ一個百円―売り物
 貨幣がどのようにして生まれたのか。発生の歴史を明らかにするという。
 貨幣についての広辞苑の説明はこうなっている。
 貨幣①商品交換の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵手段の三つの機能を持つもの。本来は、それ自身が交換される物と等価な商品で、昔は貝殻、獣皮、宝石、布、農産物など。のち貨幣商品として最も適した金、銀のような貴金属が漸次(ぜんじ)用いられるようになった。
 ②広義には、本位通貨のほか、法律によって強制通用を認められた信用貨幣をも含めていう。
 なかなか難しい。三つの機能を持つという。価値尺度、流通手段、価値貯蔵手段とか。価値尺度―価値のあるものは値段も高い、か。流通手段―値段を付けないと流通しないのか。いくら、って聞く。価値貯蔵手段―金を貯め込む。昔は壺に銭を入れて埋めたらしい。それが時々出てきたりする。
 貨幣は本来、交換されるものと等価な商品だったとか。等価―価値が等しい商品。貨幣も元々は商品だと。商品と商品が交換される。
 本位貨幣とか、信用貨幣って何?興味ある人は調べてみて下さい。

つながり天国39-要約資本論⑧

日記・小説、文学・恋愛
11 /05 2018
 11月5日、参議院予算委員会。立憲民主党の蓮舫議員の質問に、各大臣の答弁しどろもどろ。迷走答弁。アベ内閣は「うそつき内閣」だけではなく、「ガタガタ内閣」ではないか。へらへら笑ってごまかすアベ。アベがアベなら、下も下ということだろうか。「アベ内閣の信頼なし」。
 外国人労働者を増やすというが、低賃金使い捨て労働になるのではないか。低賃金でこき使える技能実習生に味を占めたのか。日本人労働者の賃金や労働条件が悪くなるのではないか。安くても働く人がいると。非正規化、低賃金化がさらに進められるか。「日本人の仕事を奪う」とか、「犯罪が増える」とかといった、ヨーロッパやアメリカのように、右翼が外国人差別、排外主義をあおるようになるかもしれない。朝鮮人に対してそうしているように。工場の海外移転をやめ、農業破壊をやめ、非正規化、低賃金化をやめて、すべての労働者を正社員にすべきだ。そうすれば子供も増え、人口も増える。また、外国人も正社員として雇うべきだろう。そうした人に永住権を与えて、生活の安定を図るべきではないか。色々と議論が必要か。
要約資本論⑧
(23)<要約>労働が上衣の価値および亜麻布の価値の実体であるのは、労働の特殊な質が捨てられ、両方の労働が人間の労働という同じ質を持っているからである。商品の価値の大きさは、労働の分量を表す。
 
 <おもしろく>
 商品の価格は基本的には「価値」によって決められるのだろう。
 「需要と供給で価格が決まる」などというが、それは違う。ここでは価格と価値は違うということだろう。これははっきりさせた方が良い。値段が高いと価値がありそうに見えるからだ。価格が高いから価値があるというのではない。価格が低いから価値がないのでもない。価格は価値と別に決められている。
 リンゴ一個百円とリンゴジュース一缶百円とは、価格は同じで、価値も同じかもしれない。しかし、ひょっとしたら、価格は同じでも、価値は違うかもしれない。同じと考えるか、同じと考えないか。ちょっと立ち止まって考えよう。
 一個百円のリンゴと二百円のリンゴは、価格は違うが価値は同じかもしれない。高いと価値があると思いがちだが、そうではない。高い値段をつけて価値があるかのように見せているだけかもしれない。そのほうが売れると。
 ブランド物などというのもそうだ。さまざまのだましの手口が発達している。どうでもいいものを高い金を出して買っている。いい気なもんだ。

(24)<要約>同じ労働は生産力がどう変わろうと、同じ時間内には常に同じ大きさの価値を生む。しかし、量の面では、同じ時間内に異なる量の使用価値を生む。生産力が増えればより多くを生む。減ればより少なくを生む。
 だから、生産力を増やして、使用価値の総量が増えたとき、その総量を生産するのに必要な労働時間が短くなれば、総量の価値の大きさも減少する。

 <おもしろく>
 生産力が増えても、同じ一時間の間に生産される生産物の価値は変わらない。
 以前の生産力で作った10個の価値と、後の生産力で作った20個の価値とは同じということになる。一個については、後の生産物の価値は、前の生産物の価値の半分になるのだろうか。
 だが価格というなら、半分にはならない。儲けるためにより高く売ろうとする。生産力が上がっても、物は安くならない。これが私利私欲の資本主義というものだろう。安くするのがルールといっても始まらない。
 「ルールなき資本主義」なのだ。ルールは資本家が勝手に決める。支配者なのだから。腹が立つ。高い。暴利だ。下げろと要求するしかない。
 「飛んでイスタンブール。資本主義にルールなどない」
  
(25)<要約>労働は、一方では体の働きとして人間の労働力が使われ、同じ人間の労働、抽象的人間労働という点では、商品価値を作り出す。
 他方で、特殊な目的のため人間の労働力が使われ、具体的有用労働という点では、使用価値を生産する。

 <おもしろく>
 ここで第二節商品で表示される労働の二重性格、が終わる。
 労働の二者闘争的本性から始まって、社会的分業について述べ、自然材料と労働によって商品が作られることに触れた。
 次に商品の価値(商品価値)は、人間的労働を表し、その価値の大きさは労働の分量を表していることが示された。
 最後に労働を二つに分けた。
 労働―抽象的、人間労働―商品価値を作る
    \具体的、有用労働―使用価値を作る
 労働こそすべてを作っている。そう言えるだろう。
 労働こそ素晴らしいのだ。が、その労働が苦痛になっている。自分の労働ではないのだ。支配された、強制された労働。資本家によって支配された労働。
 労働者は労働力を資本家に売り、資本家に支配される。
 資本家は汚い言葉でどなる。「働け。お前を買ったのだ。買ったら俺のものだ。俺の言うとおり働け。死ぬまで働け。死ぬほど働け。」と。
 労働者は労働を取り戻さなくてはいけない。自分の労働を。何を生産するかを自分で決める。いくら生産するか、どう生産するかも自分で決める。そういう社会を作らなくてはいけない。労働者が決める。資本家ではない。
 労働から逃げることはできない。労働こそ人間が生きて行くために必要なのだから。労働こそ労働者を作り出し、進歩発展させているのだから。
 どうやって労働を取り戻すのか?考えて行こう。
 

つながり天国38-要約資本論⑦

日記・小説、文学・恋愛
11 /03 2018
★青空や一緒に明るく我らの道を
要約資本論⑦
(20)<要約>
 天然にはない材料は、特別な自然の材料を特別な欲望に合わせる生産的活動によって生まれた。
 だから、労働は使用価値を生む有用な労働としては、どんな社会の形でも、生きていくための条件であり、自然のものを変え、生活と自然との仲立ちをする、永久に自然な必然―そうしなくてはならない物である。
  
 <おもしろく>
 労働。使用価値の生みの母としての労働。有用的労働。これは人間が生きてゆくための条件だという。素晴らしい労働。労働の喜び。
 人間が自然のものを変えていく―自然な必然だと。条件であり、必然である。
 労働しないと人間は生きてゆけない。労働して人間生きている。労働すれば人間生きて行ける。そうだろう。それが当たり前だろう。
 しかし、労働したくても労働できない人間がいたり、労働しても生きられない人間がいる。失業者や低賃金労働者がそうだろう。過労死は労働して死ぬ。まったく逆ではないか。死ぬための労働。腹の立つ。労働が嫌なものになる。
 あるいは、労働しないで生きている人間もいる。金持ち。資本家。労働しているって?支配する労働か。それを労働と呼べるのか。
 知識人、文化人、インテリ。支配者のために労働するのか。支配をよりしやすくするために。金持ちの太鼓持ち(たいこもち)はだんだんとアホになっていく。
 色々の人間のいる資本主義社会。どうしてなのか。どうして生きられない。
 あなたはどうゆう人間なのか。労働して生きてゆこう。

(21)<要約>商品は自然の材料と労働という、二つの要素の結合したものである。
 さまざまの有用な労働を取り去れば、天然にある事物の根底に持続するものが残る。また、自然の形を変化させる労働そのものにおいて、人間は絶えず自然の力によって支えられる。
 ウイリアム・ベティが言うように、労働は使用価値の父であり、土地はその母である。

 <おもしろく>
 先には、労働は使用価値の生みの母、と述べていたが、ここでは労働は使用価値の父であり、土地(自然)は母である、という。父も母も必要だろう。両方いないと子供は生まれないのだから。
 もっとも、単為生殖(たんいせいしょく)などと、卵細胞が受精なしに発生、分裂を始める現象があるという。ミジンコやアブラムシなどがそうだと。
 どうなっているのか。父はいらないのか。あるいは最初は分かれていなくて、何らかの理由で父と母は分かれたのか。その方が良いのだろうか。
 いつどうやって分かれたのか。どうゆう理由で。多様性が必要なのか。
 日本では貧乏人が結婚しにくい世の中になっている。当然子供が少なくなっている。生活できないような低賃金では結婚できない。貧乏などしたくない。女は貧乏な男とは結婚しないのか。一人より二人の方が豊かではないのか。
 また、結婚しても、貧乏になるから、少数しか子供を産まないのか。
 「貧乏人の子沢山」ではなかったのか。貧乏だから子供が沢山いるのか。子供が沢山いるから貧乏なのか。貧乏でも子供が沢山いるのが幸せだったのか。沢山の子供が力を合わせて生き、親の面倒を見たのだろうか。
 それは昔の話なのか。教育費がかかるので、少数がいいのか。
 家族が沢山の方が幸せなのか。少数の方が幸せになれるのか。
 事物の根底に持続するもの、とは、自然とか、自然の力とかだろう。
 ウイリアム・ベティって何者なのか。

(22)<要約>商品価値(交換価値)に移ろう。
 労働の質を考えないなら、残るのは人間的労働力の支出になる。
 商品の価値は、人間の特別なものでない簡単な労働の支出を表している。
 複雑な労働は、沢山の簡単な労働が集められたものである。複雑な労働の価値は簡単な労働で量ることができ、ある量の簡単な労働を表している。
 さまざまの労働が簡単な労働に戻される比率は、社会の様々な生産が行われていく中で決められる。

 <おもしろく>
 このあたりの文章はくどくどと分かりにくい。こんなに説明しなくてはいけないのだろうか。訳文も分かりにくい。直訳のせいだろうか。正確であることは大事だけれども、繰り返し読まないと何が言いたいのか分からない。
 複雑な労働も簡単な労働の集まりだという。
 例えばピアニストがピアノ協奏曲を弾く。随分と複雑そうで難しそうに見えるけれども、これも、音の高低、長短、強弱など簡単な要素の集まりなのだろう。
 ピアノの練習を通じて、ある閃き、飛躍があって、何かをつかむのだろう。こうすればうまく弾けると。難しいこともできるようになる。そうした飛躍も簡単なことの積み重ねの内に出来るようになるのだろう。
 何も特別なことではなく、私たちが生まれてから今日まで、繰り返してやってきた沢山のことと同じなのだ。沢山の積み重ね、沢山の気付き、発見、飛躍。誰もがそうして成長してきたのだから。分かり、出来るようになった。
 閃き、飛躍は矛盾の転化だろう。特別なことではない。特別の人に起きるのでもない。何かが矛盾している。そうやって物事が動いていることに気付く。
 認識もまたそうだろう。混沌とした認識の中から閃き、発見がやってくる。ある認識と対立する認識がぶつかって、矛盾していることに気付く。閃く。これが正しい認識だと。間違った認識を克服して、正しい認識に到達する。
 そうして、正しい認識に基づいて行動する。
 簡単な認識から複雑な認識へと発展していく。簡単な行動から複雑な行動へと発展していく。
 「戻される比率」という。複雑な労働が簡単な労働の何倍になるのか。何かの計算式があって計算されるのか。生産に必要な労働時間とか、練習時間、学習時間などが計算されるのか。なかなか複雑か。複雑な労働が必要か。

つながり天国37-要約資本論⑥

日記・小説、文学・恋愛
11 /02 2018
要約資本論⑥
(18)<要約>異なる商品の分業のうちに、社会的分業が現れる。
 社会的分業がないと、商品の生産はない。しかし、商品の生産はなくても社会的分業はある。工場での労働の分業がそうである。
 自立し、独立した私的労働の生産物だけが相互に商品として向き合う。
  
 <おもしろく>
 社会的分業―社会の分業。

 社会的分業という。ある人はリンゴを作り、ある人は車を作る。
 マルクスは「ドイツ・イデオロギ―」でこう述べている。(岩波文庫24頁)これもなかなか難しいが、まあ辛抱して読んでみよう。
 「人間は、意識によって、宗教によって、その他任意なものによって動物から区別されることができる。
 しかし、人間自身は、彼らが彼らの生活手段を生産し始めるや否や、自分を動物から区別し始める。(中略)人間は彼らの生活手段を生産することによって、間接に彼らの物質的生活そのものを生産する。
 人間が彼らの生活手段を生産する方式は、まず第一に目の前に見いだされ、そして再生産されるべき生活手段そのものの性状にかかっている。
 生産のこの方式は、単にこれが諸個人の肉体的生存の再生産であるという面からだけ考察されてはならない。
 それはむしろすでに、これら個人の活動の一定の仕方であり、彼らの生活を表出する一定の仕方であり、彼らの一定の生活様式である。
 諸個人が彼らの生活を表出する仕方は、すなわち彼らが存在する仕方である。
 したがって、彼らがなんであるかは彼らの生産に、すなわち彼らが何を生産するか、並びにまたいかに生産するかに合致する。
 したがって、諸個人がなんであるかは、彼らの生活の物質的条件にかかっている。」
 ここでは、「生産する」ということは、生活手段を生産し、自己の生存の再生産をするという面と、諸個人の活動、生活そのものであり、存在する仕方だという面の二つがある、という。だから、、「人間がなんであるかは、何を生産するか、どう生産するかと一致する」と。
 これはすごい言い方ではないだろうか。自分は何なのか、などとなかなか考えない。私は何なのか。あなたは何なのか。
 子供の時、将来何になりたいかと考えた時、「労働者になりたい」などとなかなか考えないだろう。
 「私は労働者だった」-経営者ではない。資本家ではない。労働者とは何なのか。なぜ労働者なのか。それは私が何を生産するのか、どう生産するかによるのだという。例えば、自動車を生産する。どう?資本家に雇われて。
 マルクスは続けて分業についてこう述べている。
 「分業の種々の発展段階は、とりもなおさず所有の種々の形態に他ならない。すなわち、分業のその都度の段階は、労働の材料や用具や生産物への関係から見ての、個人相互の関係をも規定するのである。」
 資本主義では生産手段(労働対象と労働手段)は資本家が所有している。だから生産物も資本家のものだという。分業と所有。
 労働者がどう作るかといえば、生産手段を持った資本家に雇われて、資本家の指揮命令の下に作る。これがどう作るかであり、だから私は労働者なのだ。生産手段を持っていないのだから、それ以外に生産のしようがないのだ。
 もっとも少しの生産手段を持って個人的に生産する人たちもいる。料理やお菓子を作ったり、おもちゃや機械の部品を作ったりするだろう。こうした人たちは個人事業者とか自営業者とか言われる。労働者ではない。
 農民や漁民にもこうした人たちがいるが、何を生産するかが違うといえるだろう。米や野菜を作ったり、魚を捕ったりする。だから農民であり漁民なのだ。
 生産手段を持たないなら、農業労働者、漁業労働者だろう。

(19)<要約>使用価値は、異なる有用な労働が含まれていなければ、商品として向き合えない。
 自立した生産者の私事として、相互に独立している、有用な労働の質の違いが、社会的分業に発展する。

 <おもしろく>
 私事―私ごと。公ではない。

 さまざまの使用価値は、さまざまに異なる有用労働を含んでいる。独立した有用な労働の質の違いが分業に発展する、という。労働の質が違う。
 しかし、分業はどこまで進むのだろうか。一つのものが二つに分かれ、二つのものが四つに分かれ、次々と別れていくのか。
 逆に、二つのものが一つに統一して、さらに二つのものが一つに統一して、次々と統一していくのか。一方で無限に細かくなり、他方で無限に大きくなるのだろうか。
 専業化して、一人一人は細かい仕事をしている。それぞれの能力は高まるのだが、専門バカとか、片輪とか言われる。そのことは分かるが、他のことは分からない。そのことはできるが、他のことはできない。人間は賢く発展しているのか、だんだんバカになっているのか。
 多様性がないと変化に対応できないというけれども、能力もそうなのではないか。多様な能力が必要。世の中は変わっていく。

susumumusi

戦後を生きてきて、70余年。今頃ブログなどとなかなか難しい。ぜひ分からないところをいろいろと教えてほしい。あれこれと経験した中で、何か若い人にも参考になるところがあるような、そんなブログになったらよいのだが。FC2ブログへようこそ!