つながり天国61-何をアピールするのか―要約資本論26
日記・小説、文学・恋愛
何をアピールするのか
例えば政治的な主張をする、経済的な主張をする、思想的、文化的主張をする、などなど色々とあることだろう。
精神的主張と、肉体的主張に分けられるかもしれない。知的主張と、実践的、行動的主張か。個人的と組織的にも分けられるか。
平和的主張と、軍事的、暴力的主張もあるか。アメリカは中東で何人殺したのか。その米軍のために、辺野古に新基地を作るという。誰を殺すためなのか。
あるいは、男と女のつながりでは、お互いの性的魅力をアピールするかもしれない。それとも男は経済的魅力をアピールするのか。男女で経済的な差別のある職業の、仕事上の環境では女性の地位は低い。賃金差別がある。女性の経済的自立が議論されたりする。そうなってこそ男女は平等だろうとか。
仕事上、職業上、技術上などでの能力や地位での差をアピールするかもしれない。そうした差別を強調するのに、学歴や入学試験だとか、資格試験、あるいはさまざまの賞、芥川賞だの、直木賞だの、さらにはノーベル賞だのと言ったものもある。
支配者のために役立つものなのか、逆に支配された者のために役立つものなのか
こう考えると、さまざまの主張や能力、資格、地位、賞などといったものの価値は、誰のためのものかで判断が分かれることだろう。自分にとって、あるいは労働者にとって役立つものなのか、それとも支配者、資本家にとって役立つものなのか。受け取る立場で違ってくることだろう。
例えば、「首を斬る」という言い方があるが、解雇される労働者にとっては、生きるか死ぬかといった、実際に首を切られるような状況になるかもしれない。しかし、経営者、資本家にとっては、「合理化」でより経営を改善するとか、会社にとっては良いことといった意味があるだろう。リストラ―企業の買収、合併、不採算部門の整理、人員削減などの手段によって、事業内容を再編成すること。
日産のゴーン前会長は平成26年、27年、28年の年間の報酬が10億円超だと言ってたと思ったら、実はそれぞれ約20億円だったといわれる。少なく発表していたのだ。労働者が年収500万円だとしたら、400人分の報酬だったのだ。沢山の労働者が作り出したものを、奪っている。搾取している。
その裏で、2万人とかの労働者の首が切られ、沢山の下請け企業が仕事を失ったといわれる。それが合理化であり、「素晴らしい経営者」と褒めたたえられたのだった。何のための会社なのか。何のための生産なのか。素晴らしい「フランス人」だ。
何がアピールされているのか―誰のためか、何のためか―やはり区別して考えることが必要だろう。
要約資本論26
(76)<要約>金での簡単な相対的価値の表現は、価格の形である。
亜麻布の「価格形態」は、2ポンドが2オンスの金の貨幣の名前であるなら、20エルレの亜麻布=2オンスの金=2ポンドである。
貨幣形態の本質をとらえる困難さは、一般的な等価形態を、つまり形態Ⅲをとらえることだけである。
簡単な商品の形態は、貨幣形態の萌芽(ほうが)である。
<おもしろく>
20エルレの亜麻布=一枚の上衣から始まった話はここで終わる。
第三節価値形態または交換価値、が終わる。
第三節は、A、B、C、Dと、4つに分かれていた。
(A)簡単な、単独な、または偶然的な価値形態では、相対的形態と等価形態が論じられた。
相対的価値形態と等価形態は矛盾としてとらえられた。
20エルレの亜麻布=一枚の上衣
(B)全体的な、または展開された価値形態ではさまざまの商品が亜麻布の等価となった。特殊な等価という。
20エルレの亜麻布=一枚の上衣
=10ポンドの茶
=40ポンドのコーヒー
……
(C)一般的価値形態では亜麻布が様々の商品の等価形態となった。
一枚の上衣 =
10ポンドの茶 = 20エルレの亜麻布
40ポンドのコーヒー=
……
(D)貨幣形態はこうなった。
20エルレの亜麻布=
一枚の上衣 = 2オンスの金
10ポンドの茶 =
……
ここでは、亜麻布は相対的価値形態に戻り、金が等価形態となった。金は貨幣商品になり、さらに、2オンスの金は2ポンドと価格形態となった。
このようにして、貨幣が生まれた。貨幣とはこうゆうものなのだ。
A、B、C、Dと、相対的価値形態と等価形態の関係、矛盾が発展している。この矛盾が全体を貫き、矛盾が発展して、貨幣が生まれた。
貨幣という不思議なもの。金の世の中。金が敵の世の中。
等価形態の三つの独自性について見たように、今、貨幣が等価形態になったのだから、貨幣は三つの独自性を持つことになる。
貨幣は交換価値なのに使用価値のように見える。
また、抽象的人間労働なのに、具体的労働として表われる。
さらに、貨幣商品を作るのは私的労働であるのに、社会的労働になる。このようにして、他の商品と交換される。
そのようにして、貨幣が独り歩きする。
例えば、一個100円のリンゴは食べておいしい、栄養になるという使用価値を持つ。しかし、貨幣100円には何ら使用価値はない。100円を食べることはできない。リンゴがないなら、リンゴは買えない。
そうであるのに、使用価値があるように見える。何か役に立つように見える。
貨幣商品―一商品でしかない金が、人を支配し、世の中を支配する。単なる道具でしかないようなものが、逆転する。主人になり、人間を支配する。
それを単に商品に過ぎないと、再逆転することが必要ではないか。金の支配と闘う。反抗する。
支配されているという現実から出発して、どうその支配を打ち破るのか、考える、抵抗する。反抗する。闘う。
例えば政治的な主張をする、経済的な主張をする、思想的、文化的主張をする、などなど色々とあることだろう。
精神的主張と、肉体的主張に分けられるかもしれない。知的主張と、実践的、行動的主張か。個人的と組織的にも分けられるか。
平和的主張と、軍事的、暴力的主張もあるか。アメリカは中東で何人殺したのか。その米軍のために、辺野古に新基地を作るという。誰を殺すためなのか。
あるいは、男と女のつながりでは、お互いの性的魅力をアピールするかもしれない。それとも男は経済的魅力をアピールするのか。男女で経済的な差別のある職業の、仕事上の環境では女性の地位は低い。賃金差別がある。女性の経済的自立が議論されたりする。そうなってこそ男女は平等だろうとか。
仕事上、職業上、技術上などでの能力や地位での差をアピールするかもしれない。そうした差別を強調するのに、学歴や入学試験だとか、資格試験、あるいはさまざまの賞、芥川賞だの、直木賞だの、さらにはノーベル賞だのと言ったものもある。
支配者のために役立つものなのか、逆に支配された者のために役立つものなのか
こう考えると、さまざまの主張や能力、資格、地位、賞などといったものの価値は、誰のためのものかで判断が分かれることだろう。自分にとって、あるいは労働者にとって役立つものなのか、それとも支配者、資本家にとって役立つものなのか。受け取る立場で違ってくることだろう。
例えば、「首を斬る」という言い方があるが、解雇される労働者にとっては、生きるか死ぬかといった、実際に首を切られるような状況になるかもしれない。しかし、経営者、資本家にとっては、「合理化」でより経営を改善するとか、会社にとっては良いことといった意味があるだろう。リストラ―企業の買収、合併、不採算部門の整理、人員削減などの手段によって、事業内容を再編成すること。
日産のゴーン前会長は平成26年、27年、28年の年間の報酬が10億円超だと言ってたと思ったら、実はそれぞれ約20億円だったといわれる。少なく発表していたのだ。労働者が年収500万円だとしたら、400人分の報酬だったのだ。沢山の労働者が作り出したものを、奪っている。搾取している。
その裏で、2万人とかの労働者の首が切られ、沢山の下請け企業が仕事を失ったといわれる。それが合理化であり、「素晴らしい経営者」と褒めたたえられたのだった。何のための会社なのか。何のための生産なのか。素晴らしい「フランス人」だ。
何がアピールされているのか―誰のためか、何のためか―やはり区別して考えることが必要だろう。
要約資本論26
(76)<要約>金での簡単な相対的価値の表現は、価格の形である。
亜麻布の「価格形態」は、2ポンドが2オンスの金の貨幣の名前であるなら、20エルレの亜麻布=2オンスの金=2ポンドである。
貨幣形態の本質をとらえる困難さは、一般的な等価形態を、つまり形態Ⅲをとらえることだけである。
簡単な商品の形態は、貨幣形態の萌芽(ほうが)である。
<おもしろく>
20エルレの亜麻布=一枚の上衣から始まった話はここで終わる。
第三節価値形態または交換価値、が終わる。
第三節は、A、B、C、Dと、4つに分かれていた。
(A)簡単な、単独な、または偶然的な価値形態では、相対的形態と等価形態が論じられた。
相対的価値形態と等価形態は矛盾としてとらえられた。
20エルレの亜麻布=一枚の上衣
(B)全体的な、または展開された価値形態ではさまざまの商品が亜麻布の等価となった。特殊な等価という。
20エルレの亜麻布=一枚の上衣
=10ポンドの茶
=40ポンドのコーヒー
……
(C)一般的価値形態では亜麻布が様々の商品の等価形態となった。
一枚の上衣 =
10ポンドの茶 = 20エルレの亜麻布
40ポンドのコーヒー=
……
(D)貨幣形態はこうなった。
20エルレの亜麻布=
一枚の上衣 = 2オンスの金
10ポンドの茶 =
……
ここでは、亜麻布は相対的価値形態に戻り、金が等価形態となった。金は貨幣商品になり、さらに、2オンスの金は2ポンドと価格形態となった。
このようにして、貨幣が生まれた。貨幣とはこうゆうものなのだ。
A、B、C、Dと、相対的価値形態と等価形態の関係、矛盾が発展している。この矛盾が全体を貫き、矛盾が発展して、貨幣が生まれた。
貨幣という不思議なもの。金の世の中。金が敵の世の中。
等価形態の三つの独自性について見たように、今、貨幣が等価形態になったのだから、貨幣は三つの独自性を持つことになる。
貨幣は交換価値なのに使用価値のように見える。
また、抽象的人間労働なのに、具体的労働として表われる。
さらに、貨幣商品を作るのは私的労働であるのに、社会的労働になる。このようにして、他の商品と交換される。
そのようにして、貨幣が独り歩きする。
例えば、一個100円のリンゴは食べておいしい、栄養になるという使用価値を持つ。しかし、貨幣100円には何ら使用価値はない。100円を食べることはできない。リンゴがないなら、リンゴは買えない。
そうであるのに、使用価値があるように見える。何か役に立つように見える。
貨幣商品―一商品でしかない金が、人を支配し、世の中を支配する。単なる道具でしかないようなものが、逆転する。主人になり、人間を支配する。
それを単に商品に過ぎないと、再逆転することが必要ではないか。金の支配と闘う。反抗する。
支配されているという現実から出発して、どうその支配を打ち破るのか、考える、抵抗する。反抗する。闘う。
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